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伯母が死んだ。
会社にもう出かけようとするその時、電話が鳴った。 鳴り分け設定しているので、ああ、伯母さんが亡くなったのだな、と直感した。 電話を受けているまりあ・ふみえの様子から、その内容が通夜や葬儀の場所や時間についてのことだとわかる。 二日前に実家の母親から、伯母さんがかなり具合が悪く、個室に入っていて意識もなくなっている、という連絡を受けていたので、ああ、やっぱり駄目だったのかという気持ちと、あの元気な伯母さんのことだから回復したらお見舞いに行こうかなという思いがかなわなかった残念な気持ちとが交錯した。 電話を切った後、私たちは、慌ただしく通夜に行く予定や段取りを決めた。 実家では、私の代わりにまりあ・ふみえだけで通夜と葬儀に出て欲しい、と言っていたらしい。 私の病気(鬱)のことを案じているのだろう。 必ず行くというのも依怙地なような気がして、私は、両親には通夜に出るとは予め告げずに通夜に行くことに決めた。 通夜の会場は、思っていたよりもずっとこじんまりとした斎場だった。 家族葬ということらしく、ごく身近な人達のみが参列しているらしい。 叔父は私の姿を見つけると、わざわざ遠い所をどうも、と言いながら顔をほころばせた。 叔父は90才になるのにそんな年齢を感じさせない。 「良くなって、ほんとによかった、よかった」 私が鬱病から回復し会社に復帰していることを聞いていたのだろう、叔父は自分の事のように喜んでくれた。 親戚の人達に会釈をしながら祭壇に向かう。 遺影は、夏の日の行楽の最中のスナップショットという感じの気さくな笑顔を浮かべている伯母の写真だった。 母に年齢を聞くと、84才で亡くなられたとのことだった。 読経が始まる。 大きな斎場で椅子に座ることに慣れていたせいか、正座というのはやはり長く続かない。 読経の最中で足を崩させてもらった。(伯母さん、失礼します) まだ若いお坊さんだが、なかなか考えさせられる説教だ。 あの世というのはこの世とはそんなに離れているわけではなくて、単に波長が違っていて存在していることが感じられないだけなのだ、という。 すぐそばにいるのだということがわかっていても、波長が違っていて居ることがわからないということもある意味とても寂しいことだな、と思う。 お坊さんの説教が終わって、葬儀委員長の挨拶でも始まるのかと思っていたら、叔父が立ち上がり、皆の目の前に立った。 叔父の言葉は、最初は余り何を言っているのか良く聞き取れなかったが、伯母が病気に冒されて入院したということを話し始めたくらいからとても明瞭なものになっていた。 だんだんと具合が悪くなっていく妻の様子を間近に見ながら何をすることもできないという無力さが切々と伝わってくる。 伯母の意識が無くなってから叔父は一睡もしていないとのことだ。 「あと、もう一日でも長く生きて欲しいと思いました」 恰幅が良くていつも笑顔を絶やさない叔父がそう言った時、目の裏がぼうっと熱くなった。 伯母は叔父にとって、何ものにも代え難い大事な大事な存在だったのだ。 年齢が80才であろうと90才であろうと関係なく、大切な人はいつまでも大切な人なのだ。 結婚式の時には決まり台詞のように唱えられる「スエナガク、ナカムツマジク」という言葉は、当たり前のようでいて実は当たり前のことではない。 悲しい通夜は何度か体験したが、悲しいということ以上にこれほど色々な事を考えさせられる通夜はなかった。 通夜の帰り、私はまりあ・ふみえと互いに何度もそのことを言い、お互いにうなづいた。 #
by monpale
| 2004-08-11 00:42
| うつ病
第14回「屍鬼の思考」
安定した日が続いた。 小説も集中して読めるようになり、小野不由美の「屍鬼」を読み続けた。 夜しか活動できず、人間の姿をしていながら人間ではないという屍鬼のあり様が妙に鬱の自分の姿と重なってしまう。 だから、ついつい屍鬼の立場になって考えてしまう。 意識も何もかもが変容して単なる化け物になるのならそれほど辛くはないだろう。 だがかつて人間だったという意識を持ちながらももはや人間として認めてもらえない屍鬼の「哲学」はそれが純粋で運命的なものであるだけに哀しく切ない。 読みながら何度も目を閉じて、色々な事を考えた。 #
by monpale
| 2004-08-02 22:32
| うつ病
第13回 「親に会うということ」
一月のなかば、実家に行くことにした。 鬱病で会社を休み始めてから、実家に行くのは初めてだ。 両親からは泊まっていくように勧められたが、日帰りにすることにした。 酷い状態ではなかったが、やはり気が重たかったからだ。この年になって親に心配をかけているということがどうにも後ろめたい。 食事をしながら、私はどういう症状だったのか、少しづつ説明を始めた。 最初は喘息のように思えたが、検査の結果は問題が無かったこと。呼吸が辛く全身もだるくて起きあがることができなくなったこと。会社のことを想像するだけで手が震えて気分が悪くなってしまうこと。昼夜逆転の生活… 父親はうなづきながら、私の話を聞いていた。 そして、真剣な表情で私にこう尋ねた。 「…それは、つまり昔で言う「なまけ病」のことか?」 数秒間、私は考えた。 そして、そうだ、と答えた。 父は私を仮病だと非難しているわけではないのだ。わたしが、厄介な「なまけ病」というものに罹ってしまって会社に行けなくなってしまったことを心配して言ったことなのだ。 だが父もさすがに言葉に配慮が足りなかったと思ったのか、まずいことを言ってしまったというような表情が瞬間かすめた。 「…昔の狐に憑かれたとか、魂を抜かれたというような話も鬱病のことだったのかもしれないな…」 私は大して気にしていないという風に、そんな話を父にした。 …なまけ病か… 真面目に仕事をしていればいつか報われると素朴に信じ、またそのように働き生きてきた父にとっては、鬱というのは多分理解しにくい病気なのだろう。 まあ、でも私自身、この病気のことを知っているつもりで何も知らないに等しかったわけだから大して違いはない。 だが、身近な友人や会社の同僚や上司に悪意と蔑みをもってこの言葉を言われたら辛いだろうな… と、どこかで今、蓑虫のように布団にくるまって震えている人たちのことを思った。 #
by monpale
| 2004-07-26 23:23
| うつ病
第12回 「年賀状の束」
見るともなくぼうっと見ている夕方のローカルテレビの画面におせち料理や年末の特番のCMが流れている。 ああ、もう年末なんだ… ずっと会社を休んでいるせいか、年中行事さえもよくわからなくなっている。 「…今年は、ここで年越ししようね…」 テレビをぼんやりと見ている私が何を考えているかわかったらしく、まりあ・ふみえがぽつりとつぶやく。 ああ、と私もうなづいた。 とても、実家に行って年越しなどという状態ではない。気力も無いし、たとえ少し有ったとしても親たちを心配させるばかりだ。 「年賀状も書かなくていいよな」 「病気なんだから書かなくていいと思うよ」 「…そうだよな…書かなくてもいいよな…」 会社の事を考えただけでも具合が悪くなりそうなのに、今年もらった年賀状を整理して年賀状を作ることなど到底できそうもない。 「…明日でもいいから、実家に年越しは行かないからって電話しておいてくれるかな…」 まりあ・ふみえはわかった、わかったというようにうなづいた。私の実家への連絡も全部彼女にまかせっきりだ。会社はもちろんだが親に電話で話をするのもすっかり億劫になっている。 薬の効果が少し出てきたのか前ほどの不安感は無いが、全身の倦怠感は続いていた。 「年越しも簡単なもので済ませよう。…子供たちが喜びそうなものを適当に買って…」 「前もそんな年越ししたよね」 「ああ、そうだ。年末みんな風邪で全滅した時だったな」 そう言えばあの時は実家から母親がおせちの重を持ってきてくれたんだっけ… 「お義母さんには、こっちで年越しするから何もいらないって言っておくね」 見透かしたようにまりあ・ふみえが応える。まったく長く一緒にいると言葉もたいして要らなくなるようだ。 そうして、淡々と2002年は暮れていった。 年末とか新年といった感慨は全く無かった。 明けて元旦、届いた年賀状は全く見ることができず代わりにまりあ・ふみえに目を通しておいてもらうことにした。 病気への気遣いの言葉とか励ましの言葉とか色々書かれているのかもしれない。 それはとてもありがたい事には違いないのだが、読むのはやはり苦痛だ。 (…Eメールの時代になんで年賀状など残っているのだろう…) 子供のように愚痴をこぼしながらソファの上に寝転んだ。 (2004/5/23記) #
by monpale
| 2004-07-24 10:30
| うつ病
第11回「メンタルクリニックに通う」
通院の日々が始まった。 週に一度、地下鉄に乗ってメンタルクリニックに向かう。 誰が見ているというわけではないのに地下鉄のホームに立っていても落ち着かない。周囲の視線が気になり、精神が極度に緊張するあまり時折り右腕が震える。 (…多分、とても怯えているように見えるだろうな…) 周囲の視線に怯えている自分の姿を思い浮かべるだけで気分が萎えてくる。 地下鉄に乗り込んでも、できるだけ隣に他人が横に座らないように座席の一番端を選びその反対側にまりあ・ふみえに座ってもらった。 地下鉄を降り地上に向かう階段を昇る。 身体に全然力が入らず、ゆっくり昇っているのに息が切れる。 心も身体もぼろぼろなんだ…情けない、情けない… 繰言のように心の中で呟きながら、階段の踊り場で上に向かう階段を見上げた。 待合室で名前を先生に名前を呼ばれ、診察室に入る。 「…この一週間はどうでしたか?」 先生の質問に私は、 朝は起きることができず夕方に少し気分が良くなること。 夜中は眠ることができず、何もせずぼうっとしたまま朝まで起きているということ。 テレビも音楽も本も全く楽しめないこと。 他人の視線が辛くて堪らないこと。 思いつくままに自分の変調について答えた。 先生はカルテにペンを走らせながら、時折顔を上げて私の言葉にうなづいた。 「…とにかく今はゆっくり身体を休めることが今一番必要ですね。今はガソリンが切れてしまっているような状態なわけですから、ゆっくり時間をかけて溜めていかなければならないわけです。」 先生の言葉を聞きながらポチさんも同じような事を言っていたな、と思い返していた。 ポチさんは「バッテリーが上がっている」と言い、先生は「ガス欠」と言う。とにかくまともに動けないことには変わりがない。 (…時間がかかるんだ…) ぼんやりした頭の中で、治るのかな、と他人事のように呟いていた。 (2004・3・6記) #
by monpale
| 2004-07-20 19:21
| うつ病
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